アイドル 小梅
今週のお題「アイドルをつづる」
私の実家では8歳の柴犬 ( ♀) がいて、この子はお家に来てから8年間ずーーっと我が家のアイドルです。
可愛いでしょう???
ザ・アイドルな可愛いさでしょう??
名前は 佐々木 小梅。
鹿児島県出身。
2011年1月1日生まれ。笑
本当に可愛いのです。愛おしいのです。
小さい体で毎日を刹那的に暮らしています。
えさと、飼い主と、散歩。
その繰り返しの毎日を、でも、四季を楽しみながら( きっとね ) 、毎日の風景を楽しみながら、生きているのです。
私は実家を出てるので、月に一度ほどしか会えませんが、帰るたびに尻尾を振って喜んでくれる彼女の存在は、本当に大きなものです。
アイドルは、存在するだけで元気をくれる。日々の生活に疲れたなら、悲しく辛い出来事があったのなら、アイドルを思い出し、アイドルに逃避してもいいのでは? 私も小梅の動画に助けられたことが幾度となくあります。
コーヒー一杯
週末、仙台コーヒーフェスが開催されていたので行ってきました!
盛岡から、大好きなコーヒー屋さん nagasawa coffee さんが出店されていたので、早速。
エチオピア深煎り。
あまり豆の違いに詳しくなく、苦けりゃいいみたいな私ですが、ここのコーヒーは本当に美味しいのです。
喫茶店で飲むコーヒーも良いけど、お天気の良い日に外で飲むコーヒーも贅沢。。。
毎食後にコーヒーを飲むコーヒー愛好者ですが、いつからブラックコーヒーが飲めるようになったかはさっぱり覚えてないなあ。
もちろん子どもの頃は飲めなかったはずだし、高校生の頃も、、カフェオレとかしか飲んでなかった気が、、、、
多分二十歳前だろうけれど、飲んでみたら、意外と飲めるじゃん!て感じだったのかな。
コーヒーを飲まない人が可哀想だとは全く思わないけれど ( 私はアボカドが食べられないのだけれど、それを、もったいなーい!とか、美味しいのに〜!と言われると、いや、もったいなくないし、、、と思う ) 私の場合、朝のコーヒー一杯でその日がスタートする気がするし、お昼休憩のコーヒー一杯で、午後も頑張ろうと思えるし、夜、家で映画を観ながらコーヒーを飲む時間が、至福の一時だったりする。
カフェイン中毒と言われてしまうけれど、コーヒー一杯に救われた朝もある。中毒で結構、まだまだコーヒーに頼っていきますよ。
桜 「 精神美 」
桜!!過去の記事にも書きましたが、植物大好きな私です。桜ももちろん。
お花見とか紅葉とか、自然の美しいものを楽しむ慣わしは本当に素敵だと思う。花より団子、はたまた花よりビールでも、それはそれで良いと思うし、お花が二の次になってしまっているのだとしても、普段花など全く見ないひとが、いつ咲くのだろう?と気にすることからして、桜の持つ力はすごい。
ただ、最近は桜の下で必死にスマホで写真撮影に勤しんでいるひとが多く、少し寂しい気もしますね。思い出づくりも大切だけれど、まずは目で見て楽しむことが私は一番だと思っているので。フィルター越しもいいけれど、生の、目の前の 世界を大切にしてほしい。
私はあまり写真を撮るタイプではないので、毎年お花見に何箇所か行っているけれど、写真が全然ないのです。
でも、また一年たって、見に行くから全然そんなこと問題じゃなくて、やっぱり自分の目で見て心で感じることが一番。桜の花を見て、ああ、また一年経ったんだなあと。4月は個人的にも思い入れがある月なので、桜を見ると思うところもあって。
桜の花言葉は、色々言われていますが、私がパッと思い付くのは「 精神美 」 日本のお花ならでは。
桜を見ると、心が綺麗で優しいひとでありたい、と思います。
私は盛岡出身なので、毎年高松の池という名所でお花見をしていました。通っていた高校が近く、部活の帰りにもよく行っていて。大人になってから、母校の制服の子たちとお花見ですれ違うと、あまりキラキラした青春を送ってなかった私でも過去を美化してキュンとしますね笑
先日、東京にあそびにいった際は、夜に、初めて目黒川の桜をみました。例によって、というよりスマホの充電がなく写真がありませんが、桜を見る私を友達が撮っててくれました。
綺麗だったなあ。川はちょっと臭くてびっくりしたけれど笑、夜桜もいいですね。
あ、もちろん、綺麗なものを写真に収めることは、素晴らしいことだとも思います。それを誰かに見せたり伝えるツールとしても。
目で見て、写真に撮って、団子を食べて、桜を楽しみましょう。
卒業式の練習
今週のお題「卒業」
卒業シーズンは少し前に終わりましたが、
今週のお題 卒業。
卒業かあ〜〜
最後に正式に卒業という儀式を迎えたのは、
4年前。大学の卒業式でした。
可愛い袴を着させてもらえて、お化粧も頑張ってして、夜は謝恩会でドレスも着れて、楽しいかったなあ。
中学校、高校と、学校が苦手で、特に中学なんて、卒業式の練習なんてものがあり、それが本当に嫌だったんです。
卒業式の練習て。それも、何回も何回も。毎日のように。
朗読や歌の練習、起立・礼の練習。お世話になった方々への感謝の思いを伝えるためとは言え、あそこまで強制させられる意味が分からなかった。あんな無駄に大きな声での答辞より、毎日お弁当作ってくれてありがとう。と、直接親に伝えた方が良いと思う。私はあまり声が通る方ではなく、よく、やり直しをさせられていて、一生懸命大きな声を出しているのに、まだ出るはずだ!と怒られていました。早く卒業したくてたまらなかった。終わったときはホッとした。大声を出せと怒られたことが最後まで嫌すぎて、先生に対して感謝の気持ちは持てなかった。
高校は、本当に記憶になく、これと言った思い出もなく、、嫌な思い出がないだけ良かったのかもしれない。
大学が、一番直近だから、と言うのもあるかもしれないけれど、一番記憶に残っているし楽しかったし、小学校から含めた学生生活が、本当に終わるんだ、と感慨深かったのです。
既にアルバイトもしていたし、お金を稼いだり、お酒を飲んだり煙草を吸ったり、男の人と身体の関係を持ったり、友達が母親になったり、大人、として生活しているつもりだったけれど、学生、と言う肩書きが無くなった瞬間、新しい自分のスタートだと思った。成人式の時よりもハッキリと、あ、大人になったんだ。と思った。
大学の卒業式は、出るも出ないも自由だった。どんな袴を着るのかも、どんな髪型にするのかも、全てが自由だった。お世話になった教授や友達に、素直に感謝の気持ちを伝えることができた。大人になって良かった、と思えた。
ピエール瀧さん
ニュースと言っていいのか微妙だけれど。
ピエール瀧さんがコカイン所持・使用で逮捕されてしまいましたね、、、
最初、ツイッターのリツイートで流れてきた記事を見て知ったのですが、電気グルーヴ・ピエール瀧 ではなく 俳優 ピエール瀧 になっていたことに少し驚いたし、ピエール瀧容疑者。て名詞が重かったなあ、とても重かった。
電気グルーヴはとても好きで、特に卓球さんが好きなのですが笑、もちろん瀧さんも大好きで。あのやる気のない感じがね、やる気のない感じだけれど、芯はあって唯一無二なところとか、なりたくても絶対なれない人種の方たちですよね。なりたくてなるものではないですね。なりたい、と真似している時点で一生なれない、憧れの存在。
仕事も順調で、数々の作品に出ていたのに、なぜ??てニュース番組のキャスターが言ってて、びっくりしたな。仕事が順調で人気者なのに、何故薬に手を出すのか、て。表側しか見れていない、浅はかすぎて、びっくりしました。
薬に手を出してしまっているひとは、みな、仕事もプライベートも上手くいかないどん底のひとだと思っているのだろうか、それならそれで幸せか。
瀧さんに限らず、そして薬に限らず、何かに依存しないと生きていけないひとは、どんな理由でそうなってしまったのか他人には分からない、もしかしたら本人にも分からないかもしれない。ただの軽い興味本意から始まったのかも知れないし、現実から逃げるための手段だったのかも知れない。私はそこまでの状態になったことがないから、全く理解ができないのです。理解が出来ないから、良いひとだったのに残念、とも、つらかったんだね、仕方ない、立ち直って復帰して下さい、とも、何にも言えないです。
ただ、一つ言えることは、もし、自分の家族や大切なひとがそういう状態になってしまっていたら、そうなる前に助けを求めて欲しかったと思うし、同時に、気付かなかった自分を責めてしまうと思う。つらくて苦しくて悲しいと思う。
本人は悪いことをしたから制裁されるのは分かるけれど、これ以上家族を苦しめるようなことはないようにしてほしいですね。
大人は良い
私の黒歴史、、、
もう26年間の人生全てが黒歴史だよ、、、
と言いたいところですが、まぁ強いて言うなら高校時代かなあ。
小学高の高学年くらいから、団体行動が苦手になり、ガッコウが嫌いになりました。
好きなひとたちと集まるのはもちろん楽しいから、クラブ活動は好きだったり、友達もそれなりにいたし恋もしたけれど、それでも中学・高校と、早く大人になりたい、ガッコウというものから解放されたい、と思ってました。
勉強は好きで、得意不得意に関わらず、何かを学ぶこと、それが点数として成果になるということには達成感を感じることができた。ノートを作ったり、作文を書いたりするのも好きだった。でも、授業は嫌いだったんです。30人前後の人数が、同じペースで勉強をするなんてバカげていると思ってた。分からないのに進んでしまったり、とっくに理解していることを説明されたり、当てられて間違えて恥ずかしい思いをしたり。今となってはほとんど覚えていないけれど、本気で嫌だったんです、幾度と仮病して保健室へ行ったり早退してました。
中学までは、それでも、仕方ないことだと割り切っていたけれど、高校生になり、義務教育ではなくなり、大人に近づくにつれて、時間の無駄だなあとか、何でみんな平気なんだろう、と考えるようになってしまって。自分で言うのも何ですが、けっこう頭の良い進学校だったので、余計にそう感じてしまっていたのかも。
部活動も、中学の頃ほどのめり込めなくなり、というか、中学は強い学校だったので、県でトップを目指していたのですが、高校ではもう諦め。目標もなくダラダラと過ごすことに。
ただ、何となく学校に行き、何となく部活をし、何となく勉強をする。その繰り返し。日々で些細な楽しいこともあったのだろうけれど、何にも覚えてないのです。このままでいいのかと悩むけれどどうしようもなく、ただただ中身のない不安と戦っていました。時間を無駄にしていることがつらかったし、どうすれば良いのか分からなかった。( 前回の記事で書きましたが、そんなとき、ブルーハーツに出会ってどハマりした )
よく、あの頃に戻りたい!とか、青春時代はサイコーだった。と聞きますが、そういう方々が羨ましい思いもあるけれど、私はいま、大人になって本当に良かったと思う。
全て自分の責任の元、自分で決めることができる。働いてお金を稼ぐことができる。稼いだお金で、行きたいところに行くことができる。夢を現実に変えらることができる、かもしれない。( できないかもしれない )
あの頃の、見えない不安と戦っていた私に、大丈夫、大人は楽しいぞー!と言ってあげたい。
私のヒーロー
アイドルは好きだけれど、テレビに出てたら
あ、かわいい〜!て見るだけかな。
なので、私のアイドル、というより、私のヒーローをご紹介。
へえ、( ブルーハーツ ) 世代じゃないのに?
と言いますが、何をおっしゃる、、、
彼等は現役バリバリのロックンローラーですよ。
クロマニヨンズのライブに行くのが私の生き甲斐でもあるのです。
と、言っても、まぁ私も最初のきっかけは、高校生のときに聞いたブルーハーツ。
そもそも、小学生の時にみていたドラマ、人にやさしくで、曲は知っていたのですが、小学生の頃は、それこそザ・アイドルであるモーニング娘。が好きだったので、そこまで興味を示さず時が流れました。カッコイイな、とは思ったのだろうけれど、優しさだけじゃ ひとは愛せないから ああ 慰めてあげられない。なんて深い歌詞、小学生の私には理解できなくて。
高校生の頃、何がきっかけで聴き始めたのか実は覚えていないのだけれど、ガッコウで、いじめられてないし浮いてはいないけれど クラスに馴染めず、何かしたいのだけれど、自分がどうなりたい、どうしたいのかも全く分からず途方に暮れていた私にとって、ブルーハーツの曲たちは衝撃的で、切ないけれどこの上なく優しくて、こんなバンドがあったのかと世界が変わったのです。こんなにカッコイイひとたちがいたなんて、自分がみていた世界はどれだけ狭かったのか思い知らされたのです。大人になってからではなく、大人と子どもの間であった高校生の頃だったからこそ、やろうと思えば自分で何でも出来るはずだけれど、その術も分からず責任も取れず結果何にも出来ずにいた10代の頃だったからこそ、ヒロトとマーシーのロックンロールが心の真ん中に刺さったのです。
そして、今、ザ・クロマニヨンズとして、私の心に刺さり続けてくれています。
仕事も人間関係も長続きしない私が、唯一ずっと好きで好きで、追いかけられるもの、それがロックンロールです。
ライブに行くたび、彼等は存在するのだ、という事実を目の当たりにし、救われるのです。自分がどんな状況だろうと、彼等のロックンロールはかっこよく鳴り響いていること、つまり、自分がどんなにどん底にいても、世界は変わらずに回っているから、またいつでも這い上がることが出来る、ということが、私を支えてくれています。
そして、純粋に楽しい。ただただ、楽しい。
私はいつも、ライブの時はギターのマーシー前で、まぁ〜〜しぃ〜〜!と叫んでいますが、2人とも大好きです。
オタクという言葉がありますが、アイドルでも、アニメのキャラクターでも、何かにすがって生きていくのは全然恥ずかしいことじゃないよね。それによって日常生活がままならないのは問題かもしれないけれど、日常生活をおくる支えは必要だもん、オタク万歳です!
自由に、楽しく生きることって本当に勇気がいることだけれど、私は、私のアイドルもとい、私のヒーローたちのように、勇気を持って楽しく生きていきたいのです。